末期の癌で余命一か月を告知された叔父の見舞いに行ってきたまあくんです。「どんな言葉をかけたらいいのか」すっごく迷ってネットや本で調べたけど見つからなかった答え。意外なことに母が一つの答えを実践して見せてくれました。同じ状況になったときに役立つかもしれないので、皆さんにも紹介します!
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余命1カ月の癌患者のお見舞い
ある日の午後、仕事をしていたら突然実家から連絡があり、「叔父が癌で緊急入院した」とのこと。しかも余命1カ月と告知されていて、いつまでもつか分からない状況とのことでした。
叔父といっても、私にとっては小さいころからとってもかわいがってもらった大好きな叔父です。
高校の入学祝いで叔父に買ってもらった腕時計を今でもしていますし、私が就職して実家を離れていても盆や正月には必ず会って食事会をするぐらい仲が良かったんです。心配でしかたなくて、すぐにお見舞いに行くことにしました。
でもここで少し困ったことが。
今までも入院している人のお見舞いに行ったことは何度もありますが、すべて治る病気で入院された方ばかり。
なので本人が入院中に楽しめる雑誌や好きな食べ物をなんかを持参して、「大丈夫?早く元気になってね」と笑顔で声をかければよかったんですが、今回は余命宣告を受けていて、もうすぐ亡くなることが分かっているんです。
もちろん本人もそのことは分かっているので、何をどう話したらいいのか、どう接っしたらいいのかわかりません。
たぶん顔をみたら泣いちゃうんだろうな・・・
でも元気付てあげないといけないし・・・
といっても助からないのに元気づけるなんて無理かもしれない・・・
色んな思いが交錯します。
よくある末期癌や余命が短い方への対応方法
とり急ぎネットで情報をあつめてみたら、余命が短い人や末期の癌患者への接し方として、こんなことが紹介されていました。
- 頑張れとか言ってはダメ
- 元気を出せと言ってもダメ
- 病気を治す方法を探したらダメ
- お守りをもらってくるのもダメ
- ただ話を聞いて共感してあげることが大事
ネットの記事やヤフー知恵袋など、様々なサイトを覗いてみまし、新幹線を待つ間に本屋で立ち読みもしてみましたたが、出てきた答えはたいてい上記の5つに集約されます。
患者に精神的負担をかけてはいけないので、「頑張れ」や「元気出せ」というのはタブーで、病気は専門の医師が対応するものなので、効果のあるかどうかわからない民間療法を探してきたり、神頼みをしたりしないのがよい。受け身の姿勢でとにかく患者の話を聞いてあげるのがベストですよっていうアドバイスです。
特に患者への声掛けは「不用意な発言をしない様に注意が必要」なんだそうです。
これってどこかで聞いたことがあるな~って思ったら、地震や台風などで被災した方への対応法で紹介されていたものとすっごく似てます。
頑張れとか元気だせというと、「これ以上無理」「この状況で何を頑張れっていうの?」って思われてしまうから「一緒に頑張ろう」と寄り添ってあげましょうとか、解決方法を探るんじゃなくて、話をきいて共感してあげることが大切だよっていう対応方法です。
「そうなのか~」と学びつつも、なんか違うっていうか、叔父に対してこれをやってあげたとして「ほんとに叔父の為になるのかな~?」って感じがしてしっくりきません。
ちょっと考えすぎなのかな~?
何もしてあげられない「もどかしさ」
うまく言えないんですが、私が感じたこの違和感は、あと少しで亡くなってしまう大事な人の為に「何かしてあげたいけど何もできない」っていうもどかしさなんじゃないかと思います。
これって、「患者の為」というより「自分の為」の話だからよくないのかもしれないんですが、自分が大切に思ってる人であればあるほど、「何かしてあげたい」って思っちゃうんですよね。
そんな複雑な思いを抱えつつも、大阪から新幹線で岡山の病院へ移動し、いよいよ叔父の入院している病室へ訪れたときのことです。
余命一か月の叔父が話してくれたこと
点滴や測定機器のコードがたくさんつけられ、ベッドに横たわる叔父は、鎮痛剤で少しもうろうとしながらも、私が来たことに気づき、何気ない挨拶から話が始まりました。
そして具合や現状の話を一通りした後、叔父はこんなことを話してくれました。
「(入院した翌日の)昨日の朝の8時から夜の8時までひっきりなしに会社のメンバーが100人も見舞いにきてくれた。
とてもありがたいし、ほんとはこんなことを言ってはいけないのは分かってるけど、何回も同じ話を繰り返ししなければならなくて、本当に疲れてしまった。」
「来てくれた人もそうだと思うけど、ワシも何を話したらええんか分らんし。話すこともないしな。いい加減にしてほしい。本当に疲れてしんどくなってさらに体調が悪くなってしまった。」
ちょっと悪ぶってる感じはするけどあったかさのある昔堅気な叔父の事です。
会社でも叔父を慕う方がたくさんいて、余命一か月と聞いて慌てて駆けつけてくれたんだと思うんですが、叔父にとっては度を超した数の来客と、「どこまで踏み込んで話すかお互い探り探り話す」のに疲れてしまい、症状が悪化してしまったようです。
話を聞いて共感してあげるのだけが答えじゃない
たまたま叔父が最初に100人の見舞いラッシュの話をしてくれたから気づけたんですが、今回の場合、「とにかく話をきいて共感してあげる」のは見舞いの時の最適な答えじゃなかったみたいです。
「相手の話を聞いてあげる」という方法しか想定していなかった私は「それは大変だったね」と言いながらも、ここでより一層どうしていいか分からなくなってしまいました。
見舞いで分かった末期がん患者の本当の気持ち
余命が短い状況で見舞いをされる患者の気持ちは、勇気づけてほしいとか、応援してほしいとかと思ってしまいますが、実際にお見舞いに行ってみるとそれは全く違うものでした。
- 同じことを何度も話すのが大変
- 患者も何を話したらいいかわからない
もちろんほかにもいろいろあると思いますが、どこまで話していいかお互いに探り合いながら話すのに神経を使い、それを何度も繰り返すのは想像以上にきつい様です。
この話を職場の仲間にしたら、「私も同じことを言われたことがある。治らない病気の場合は心配してくれる人にメールやラインで同じことを書いて送るのが面倒で返事してないっていう人もいた」といってたので、同じような状況の方がたくさんいらっしゃるのかもしれません。
母が実践してみせてくれた患者に寄り添う方法
そんなこんなで、次に発する言葉をどうしようかと私が考えていた時のことです。
私の母が「しんどさはどうなん?」と叔父に聞きました。
叔父は「だるいとか、呼吸が苦しいとかではなくて、なんとも言えない、今までに感じたことのないしんどさがある」というのです。
より一層どうしてあげることもできない状況に「困ったな」と思ってたら、母は
「ずっとベッドに寝てたら体が痛くなるからさすってあげる」
といって叔父を横に向けて背中をさすり始めました。
それはありがたいといってさすってもらう叔父。
背中や腰、おしりをさすってもらって「これは気持ちいいな」「辛さが楽になってきた」と言い始めます。
母はマッサージの資格をもっているわけではないんですが、20年ほど前に婦人会で介護の対応方法として、血行が良くなるようにさする(なでる)方法を教わってたそうです。
「見舞いに来た人みんながマッサージしてくれたらええのになあ」と冗談まで言い始めた叔父をみて、「してあげられることがあったんだ」と気づかされた私は、母と一緒に足をマッサージしてあげることに。
叔父の足は点滴でパンパンにむくんでいたので、足の指から太ももに向かって血流がよくなるようにやさしくもんであげました。
そうしたら、病院にきて弱り切った叔父からしんみりと話をきいてたはずが、いつの間にか一生懸命体をなでる母と私、そして「気持ちいい」と言ってくれる叔父とそれを見ながら「仲がええ親戚じゃな~」と笑う父で少し楽しい雰囲気になりました。
ふれあいで生まれた明日への希望
母と私が体をさすってあげたことでしんどさがすごく楽になった叔父。
回診にきた看護師さんに「具合はいかがですか?」と聞かれて、「おねえと甥っ子がマッサージしてくれてすげえ楽になったわ」と笑顔で答える様子をみて、「元気になってくれてよかった」となんだかすごくホッとしました。
これって私や母にとっては「なにかしてあげられた」という自己満足なのかもしれませんが、とにかく叔父も私たちも元気が出たんです。
帰る時も
「またマッサージしに来てあげるね」
「おう、ありがとな。また頼むで。」
といってお互い笑顔で病室を後にすることができました。
もし話を聞いて共感するだけで終わってたら、暗くなるだけで、きっと「またくる」なんていう次の話はできなかったと思うんです。
いつ死んでしまうか分からない、次回会えるかどうかわからない状況なのはお互いよく理解していますが、それでも「また会おう」と笑顔で言えるのは、お互い触れ合いながら、『お互いが元気づけられた』からだと分かって、なんだかすごい温かい気持ちになりました。
直面して分かった末期がん患者のお見舞い方法
ネットや本を調べても載っていない、会社の先輩に聞いてもわからなかった余命一か月の末期の癌患者への対応方法を目の前で実践して見せてくれた母。
人生で役立つ素晴らしいことを教えてもらって改めて母の偉大さを感じました。
そしてその二日後、叔父は他界してしまい、再びマッサージをしてあげることはできませんでしたが、「またくるね」といって最後に笑顔で別れられたことが本当によかったと思っています。
葬儀の際にも「まあくんとお母さんがマッサージしてくれて楽になったってほんとに喜んでたんよ」と叔父の奥さんから聞いて涙が止まりませんでした。
今後同じような状況になる方もたくさんいらっしゃるんじゃないかと思うので、今回学んだことをまとめておくとこんな感じになります。
余命宣告をされた末期がん患者のお見舞いのポイント
- 大勢の見舞いは患者を疲れさせる
- 何を話したらいいか分からないのは患者も同じ
- 繰り返し病気の話をするのは患者にとっては苦痛
- 患者の話を聞いてあげるだけが答えじゃない
- 専門の知識がなくてもできる触れ合いがおすすめ
そもそも論になってしまいますが、見舞いに行った方がいいのか控えたほうがいいのか適切な判断が大事です。
最後かもしれないと思うと「とにかく会って話したい」と思いますが、患者の状況を考えて度を超さない様に配慮するのも大事な事です。特に会社メンバーは大人数になりやすいので、様子を伺いながら調整する必要があります。
そして、お互い探り合いながらの話を繰り返しさせるのではなく、できる範囲で触れ合いを持つのがお互いを元気づけるきっかけになってくれます。
動けなくて痛くなった腰をさすってあげるのもいいと思いますし、点滴でむくんだ足を軽くさすってあげるだけでもいいと思います。ひょっとしたら手を握ってあげるだけでもいいかもしれません。触れ合うことが大事なんだと思います。
もちろんこれが絶対的な答えというわけではありません。
親しさの程度や家族なのか友達なのか、会社仲間なのかで対応できることも変わると思いますし、家族や親せきじゃなかったら背中や腰をなでてあげることはできないかもしれません。
でも、実際に患者さんがどんな状況や心境になるのかを知って、「ただ話を聞いてあげる」以外の方法も選択できるようにしておけば、より相手に合わせた適切な対応ができるかもしれません。
そんな時に少しでもこの記事の内容を役立てていただけたら嬉しいと思います。
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